靴の手入れについて
今回は靴の手入れ、靴磨きについての記事だが、単純な手法等には触れているものではない。
個人的な雑感についてつらつらと綴っているだけなので、ご留意を。
シューケアは半分オカルトの世界?
趣味とオカルト
趣味にはオカルト的要素が絡むものがある。
想像が絡む余地のある趣味、ということになろうか。
最も端的な例としてオーディオ趣味が頭に浮かぶが、多かれ少なかれそういう要素がある趣味も多いだろう。
僕は楽器も好きだが、値段と音が比例しているとはやはり思えない。
シューケアとオカルト
翻って靴の手入れのオカルト的要素だが、どの作業がどう作用するのか、長期的に見た場合にはどうなのか、科学的観点や実体験で確証を得ることが難しい点が挙げられる。
人間は足が2本しかなく、人生で靴に興味を持って、溌剌と靴を履いて行動できる期間は40年程度しかない。
一体その程度の期間でどれだけの実体験を得ることができるだろうか。
(誰がアニリンカーフクリームと無色シュークリームジャーの違いを将来的な観点まで含めて的確に語ることができるのか。)
いくら数を持っていたって、その分履く頻度は落ち、一個体を手入する頻度は落ち、経験としては有意とは言い切れない。
プロの方で考えても、区切られた一時期に経験した数は計り知れないが、そのプロが推奨する手入れ方法で、自身が何足寿命まで履きつぶしたのか。頻度高く使用された10年後の状態を何足見たのか。
メーカーは似たような複数のクリームでそれぞれ手入をして10年後、20年後の状態を比較しているのか。
例えば10年目でクラックができた靴があるとする。
そうすると原因を考える訳だ。
クリームを塗る頻度が多かったのかな…
デリケートクリームで水分補給すればよかったかな…
リムーバー使いすぎたかな…
天候気にせず履きすぎたかな…
ただの寿命かな…
革質があんまり良くなかったのかな…
ツリーがあってなかったのかな…
これら想像してしまう要因のうち、真因を特定することは非常に困難である。
すると人間はどう思考の落としどころを見つけるかというと、自身の経験の中で印象深いものにフォーカスして、原因と結びつける。
そしてそこをフォローできる工程や道具を、次のPDCAを回しきることなく信望してしまうのだ。
オカルトだからこそ面白い!
これまで何故か批判的な論調になってしまったことを反省している。
僕は靴磨きが大好きだ。(プロの方も素直に尊敬している。)
正解が分からないからこそ試行錯誤する余地が生まれ、趣味としての奥行を増している。
最短距離で正解にたどり着ける世界ではない。
迷う暇があったらまず始めて、そして自分なりの正解を構築していくしかない(構築できる)世界なのである。
費用をかければその分の満足感も得られるし、費用をかけなくても必要十分な効果は得られる。
間口が広く、奥が深い趣味と言えるだろう。素晴らしい!
思考を空白にする大人の趣味
最後に靴磨きの趣味としての良さについてもう少し触れたい。
大人の趣味には日常生活における雑念から思考を切り離し、心身をリセットすることが求められる。
ランニングを始めとするスポーツ系もそうだし、音楽鑑賞しかり、釣りしかり、座禅しかり…
靴磨きはその観点でもバッチリだ。
それどころか自宅で手軽にできるという点では非常に優れている。
(微妙に)輝きを増していく靴を眺めながらのブラッシングは簡単に無心の世界に誘ってくれる。
LOVE靴磨き。